まさかの白紙撤回となった五輪エンブレム。結局、エンブレムそのものはパクリかどうかの結論に至らぬまま(個人的には違うと思う。シンプルなデザインを追求すれば、何かと似てしまうもの)、デザイナーを精神的に追い詰めて退陣させるという最悪の結末になりました。
【外部サイト】【エンブレム撤回】佐野研二郎氏「悪しきイメージが増幅された」(コメント全文)
さて、私は2年くらい前まで某大手企業でUI/UXの設計やら、ちょいとデザインぽいことや、コンペに関わっていました。
その会社はデザイン会社ではなく、かといってITベンチャーでもなく、日本を代表するような大手企業の一角に、そういった部門があったという感じです。
んで、そうなると周囲のメンバーや上司は決してデザインバリバリとかITバリバリではありません。
彼らを納得させるのは、革新的なデザインの絵ではなく、説得力のある解説の文でした。
かみ砕いて言えば、彼らは一枚の絵からその背景にあるものを想像することができないので(そんなことをする時間がないので)、「このデザインにはこういった思いが込められて、こういう風に機能するのです」という、バカ丁寧な解説があればあるほど、納得させやすいのでした(若手デザイナー諸君、覚えておこう)。
デザインする側にとってはくやしい思いもたくさんありました。「これカッチョイイー!」と思っても、上司に見せると「それと同じUIって他社は使ってるの?なんでそれがいいと思ったの?」と聞き返されます。もしここで、地力があればたくさんのテストユーザーを集めて実際に使ってもらって検証ができるけど、そうでないときには「根拠のないひとりよがりなデザイン」と見なされ、結局は「アマゾンをパクりました」的なデザインが採用されたりしました。
※もちろん、幅広いユーザーが使うものという前提に立てば、革新的なデザインよりも平均的なデザインの方が優れているのは理解しつつ。
インターネットはたくさんの人に発言権を与えました。殿様の「控えおろう」のような圧倒的な力でネジ伏せることは困難になったし、コッソリうやむやにすることも困難になりました。かつてないほど「みんな」の総意が求められる時代になってしまいました。
今回の件で失敗だったのは、そういった時代になっているのにも関わらず、過去と同じようなプロセスでデザインが決定されたということ。デザインに至るまでのコンセプト、選考の経緯などが「みんな」に対して(最初は)的確に示されなかったこと。矢面に立たされたのがデザイナー本人(ふつーの民間人)だったため、煽り耐性・炎上対策ができなかったことだと思います。
デザインそのものの否定ではないこと、それだけは救いですが、デザイナーを精神的に追い詰めて退陣させるというのは本当にイヤな気持ちになりました。
新しいエンブレムはもう少し幅広く募集するとのことなので、テレゴングで決めたらいいと思います。
そのうち、テレビがそうなったように「ここ注目するとこね」みたいな字幕がエンブレムにも載りそうですね。
※ちなみに「扉の先通信」のロゴマークはPマーク等にも似ていますが、曲がったキノコがカタカナの「マ」を表しています。