食べるとサイケデリックな体験ができるキノコ、通称「マジックマッシュルーム」。2002年6月に規制されるまでは合法的に所持・使用が可能だったため、私もマジックマッシュルームをよく食べてきました。
しかし、気がつけば規制されてからもう16年。最近の若者はマジックマッシュルームを体験したことがないという人も増えています。あの時代が何だったのか、目一杯思い出してみました。
この話は私個人の思い出・記憶です。ガーっと書きたいので裏(証拠)もそんなに検証していません。間違えているところがあればやさしくご指摘くださいませ。
※念のため注:この当時、マジックマッシュルームは違法ではありませんでした。例えるなら、いま合法でみんな飲んでいるお酒がいきなり違法になったようなものです。「こいつはヤバイ」と思わずに、そういう時代だったということでお願いします。
目次
マジックマッシュルームとの出会い
90年代末期、「サブカル(サブカルチャー)」という文化がありました。アニメやゲームのような「オタク」カルチャーとはちょっと違う、殺人・死体・人体改造・精神変容・バックパック旅などがサブカルの範疇だったように思えます。
サブカル文化を象徴する雑誌は「危ない1号」を始めとする「危ないシリーズ」。
紀伊國屋書店にも「サブカルチャー」というコーナーが作られ、青春の鬱憤を思い切りため込んでいた私も、そういった「ブッ飛んだ」本を通じてブッ飛んでみることに憧れていました。
エロもグロもドラッグも、なんでもありのサブカル雑誌。「バリ島では幻覚が見られるマジックマッシュルームなるものをオムレツにして食べることができる。お店の場所は・・・」なんていう記事に胸を躍らせていました。サイケデリック中二病状態です。
また、90年代末期はクラブシーンが盛り上がった時代でもあります。日本でも「ディスコ」から「クラブ」へ変化し、爆音で一晩中踊り続ける(ナンパはしない)という遊び方が普及し始めました。
ヨーロッパのクラブでは半ば公然とドラッグが用いられており、日本でもクラブシーンが盛り上がるとともに、マジックマッシュルームやLSD、MDMA(エクスタシー)などのドラッグが流入し始めました。
これらは、マフィアのような大がかりな密売組織ではなく、ふつうの旅人たちがインドやヨーロッパのお土産として持ち帰り、次の旅費のために販売することが多かったように思えます。
当時のマジックマッシュルームは、ドラッグに対して寛容だったオランダの栽培物や、伝統的に使われてきたバリの天然物だったと思います。
私がマジックマッシュルームに惹かれたのは、完全に合法だったので逮捕されるリスクがなかったということと、自然の植物なので「トビの安全性」が高かったということ、そして「キノコでトリップする」というマヌケな感じが面白かったからです。
LSDやMDMA、覚醒剤のような「化学合成して作ったドラッグ」は、その製造工程においてどんなクソネタを盛り込まれていても見分けがつきません。いつもの調子でLSDを摂取したら、ヘンなものでも混ざっていたのか、なんだかひどいトビ方をしたという体験談もあります。「致死量の毒が入ったMDMAが出回っている」なんていうウワサもありました。
※もちろん、MDMAの形状・刻印やLSDの絵柄で見分けをしていたけど、「何が入っているか」というのは、ドラッグ分析でお馴染みのDanceSafeがない時代には分かりませんでした。
【外部リンク】DanceSafe
その点、マジックマッシュルームは植物を乾燥させただけなので、いつでも分かりやすいトビでした。保存状態によっては効き目の強さに差があったけど、弱かったら追加で食べればよいだけです。「トビ方が異なる」ことがないのは、とても安心できました。
※ケミカルドラッグは危険、ナチュラルドラッグは安全という意味ではないです。ピュアなLSDやMDMAであれば大歓迎です。分かりやすさという点です
そして、1999年ごろから大きな変革が始まります。インターネットが少しずつ普及し、「ネットで買う」というスタイルが一般的になってきました。
マジックマッシュルーム販売・栽培が一般化
貧弱なネット回線と貧弱な検索エンジン(infoseekとかgooとか)で「マジックマッシュルーム」と検索すると、いろいろ出てきました。中にはやっぱり胡散臭いのもあったけど、小さなパケに乾燥されたキノコが入って、1HIT(1回分)が3,000円くらいだったと思います。
品種は「シロシベ・クベンシス」と「ハワイアン・コーポラディア」という2種類がメジャーで、ハワイアン・コーポラディアの方が強いと言われていました。
そして、多くの人に革命を与えたのは「楽しい不思議植物園」さんのサイトです(すでに閉鎖)。
「楽しい不思議植物園」では、タンザニアやインドネシアなど、さまざまな産地のマジックマッシュルームの「菌床」を販売しており、あとはペットボトルと培養土と腐葉土を準備するだけで、かなり簡単にキノコ栽培ができてしまいました。
菌床はひとつ1,500円くらいだったように記憶しています。代金は銀行振り込みで後払い、栽培に失敗しても1回は無料で追加送付してもらえるというホスピタリティ。
当時の私は風呂なし四畳半の部屋に住んでいましたが、マジックマッシュルームはそんなボロ家でも、ペットボトルと土さえあれば簡単にワッサワッサと育つのです。大麻ではこうはいきません。
ワッサーと育ったものは扇風機で乾かして、シリカゲルを入れたタッパーで保存しておけば数ヶ月はメリットが持続しました。
さらに、しっかりと育ったマジックマッシュルームから上手に胞子を採取できると、その胞子からまた新しく育てることも可能で、ほぼ無限ループのような状態で作り続けられました(もっとも、胞子から育てるのはかなり困難なので、手間を考えたら菌床を買った方が早かったです)。
簡単に買えるし、簡単に育てられる。しかも合法。そこそこ長期保存もできる。
そんな理由から、00年代になったころはマジックマッシュルームがとても身近になっていました。
ありふれるキノコ
路上に小さなテーブルを置き、「キノコあります」という看板をブラックライトで照らしたキノコ屋さんは本当にたくさんいました。それこそアルタ前やハチ公前にもいるくらい一般的な存在でした(取り締まりはどうだったんだろう?)。
私は自家栽培していたので路上販売のものを購入することはありませんでしたが、そんなに大人気になっているようにも見えませんでした。「ああ、またいるな」くらいの感じでした。
ほかにも、下北沢の雑貨屋の2階や、原宿の裏の方に店舗型のキノコ屋さんがありました。原宿の店はガラスの棚にいろんなマジックマッシュルームが並んでいて、買わずに眺めていると、店のオバちゃんが「買わないなら出てって」みたいに、すっごいプレッシャーかけてきました。あの店、なんだったんだろう・・・。
もちろん、野外フェス会場でも定番の存在でした。「手元にないけど、行けばキノコ屋さんいるんじゃない?」とか、「次のイベント、キノコ屋さん来るか分かる?」みたいな会話をしていました。
私の栽培も安定化し、自宅で食べられるものがマジックマッシュルームだけという状態もしばしばありました。よく、「売ればよかったじゃん」と言われますが、なんとなく売るのはヤバイという意識があったのと、ほとんどタダ同然で栽培し続けていたので、そこからお金を取るという発想にはたどり着きませんでした。
一般社会のマジックマッシュルーム認識
マジックマッシュルームは違法なものじゃなかったけど、事故や細かな法律を意識してなのか、「当商品は植物標本です。誤食しないように」みたいな注意書きと一緒に販売されていました。「植物標本」や「植物見本」、「誤飲」や「誤食」といった言葉は90年代サイケキッズには懐かしい響きです。
マジックマッシュルームを強く認識していたのは、サブカル連中やクラブ好きだったと思います。いまの時代はすべてのカルチャーがポップカルチャーになったように感じてしまいますが、その当時はあんまり他人が興味を持たないような文化に興味を持ってしまう、サブカルクソ野郎がたくさんいました。まだ、秘密が秘密のままで残っていた時代です。
一般社会におけるマジックマッシュルームは「なんか怪しいもの」という認識で完全スルーだったと思います。危険ドラッグのように「危険!」というプロパガンダもなかったので、夜になったら路上で売ってる怪しいもの、というくらいの認識だったような。バイアグラのジェネリック「カマグラ」や、じゃぶじゃぶ濡れる「威覇クリーム(女性用)」のような媚薬と同じくらいの扱いだったのかと推測します。
少なくとも、小学校や中学校で「キノコは危険!」みたいなポスターを書かされるようなことはなかったようです。
法規制の動き
この当時、アメリカではすでにマジックマッシュルームは違法でした。そのため、「日本でもそろそろ規制されるよ」というウワサが常にありました。
少しずつマジックマッシュルームが一般的になっていくと、さまざまな事件の犯人が「そのときマジックマッシュルームをやってました」みたいな余計なことをしゃべり出すようになり、「法の抜け道をついたドラッグ」のような扱いで、夕方のニュースへ登場するようになりました。
そして、決定的だったのは俳優の伊藤英明が2001年に起こした騒動です。
マジックマッシュルームの影響で錯乱し、コンビニへ駆け込んで大騒ぎしたあげく、救急車で搬送されたのです。人気俳優だったということもあって、一気に「マジックマッシュルームは危険」という風潮になりました。うぐぐ・・・。
そして、2002年6月に正式に禁止されました。パブリックコメントの受付や、小さな反対運動はあったけど、世論は付いてきませんでした。最後のころはキノコ屋さんも投げ売り状態だったと聞きます。
本当に、不思議なくらいさーっと表舞台からキノコは消えていきました。
ほかのドラッグとの関連
インターネットのおかげで一気に流通が広がった90年代末期は「第三次薬物汚染」なんて言われることもありました。2ちゃんねるに「冷たいのあります」みたいなのが書かれていた時代です。
現在は法律で規制されている危険ドラッグ(当時の呼び名はデザイナーズドラッグ、合法ドラッグ)の「AMT」や「5-MeO-DIPT」などもインターネットで気軽に購入できました。
これらは、数々のデザイナーズドラッグを産み出したシュルギン博士がきちんと実験して「PiHKAL」、「TiHKAL」の2冊にまとめたものだったので、比較的安全性が期待できるものでした。実際、事故や事件は少なかったように感じています。
私の場合は自分で作ったキノコの方が摂取量も分かりやすいし、何より安かったので、危険ドラッグにはあまり手を出しませんでした。
反対に、当時は大麻の室内栽培は技術・情報・品種ともに貧弱な時代でした。情報源は「マリファナ・ハイ」や「マリファナ・X」くらい。
生育ランプに「パルックボール」を使ってみたり、プラスティックの衣装ケースに金魚鉢のブクブクを組み合わせて水耕栽培してみたり。タネも室内栽培用に品種改良されたものではないから、クローゼットひとつが栽培ルームみたいなことになりがちでした。
ベニテングタケとの関連
2002年に規制されたのは「シロシビン」や「シロシン」を含むキノコだけとなっており、インパクトのあるビジュアルで人気のベニテングタケは「シロシビン」や「シロシン」とは違う成分なので規制の対象とはなりませんでした。
マジックマッシュルームが規制された直後には「代用品」という扱いで、乾燥されたベニテングタケが一部のショップで販売されていました。しかし、マジックマッシュルームと比較すると摂取量(食べるべき量)が多いこと、トリップがしょーもないことから人気は得られず、いつからか見かけなくなりました。友人が乾燥されたベニテングタケを食べながら「これ、どんだけ食べてもキマらないんだよ!」と怒っていたのが懐かしいです。
個人的にはベニテングタケのトリップは「せん妄」であり、マジックマッシュルームのサイケデリック体験とは大きく異なっていると感じました。
いまでもベニテングタケは合法ですが、正直「しょーもない」のでトビ目的で食べる必要はないと思います。味はとてもうまかったです。
私のマジックマッシュルームの使い方
私は自家栽培のマジックマッシュルームを食べて、布団に入って瞑想するのが大好きでした。風呂なし四畳半の部屋の天井を突き破り、さまざまな意識体験をしました。
たとえば、自分の身体がカモシカのようになって山を飛び跳ね、とてもキラキラとした世界を見たことがあります。そしてそれは、子供のころに見た景色と同じということに気づきました。
ほかにも宇宙へ飛び出て地球を見下ろしてみたり、「神」のような存在と対話したり、身体が溶けて流れるエネルギーだけになったり・・・荒唐無稽に聞こえるかもですが、さまざまな意識体験をしました。
また、表現が難しいですが、マジックマッシュルームを食べると「思考が三次元になる」感覚がありました。たとえば、「お腹が空いた→ご飯を食べよう」というのを二次元の考えだとするなら、「お腹が空いた→ご飯を食べよう←チャーハン作って」のように、複数の方向から思考が湧き出てくるのです。
目が朦朧とするので試験勉強などに使うのは困難ですが、「閃き」を得たいときには本当に役立つツールでした。
いまでも(バイタルミー)L-チロシン500mgのように脳を活性化させるサプリメントがあるけれど、マジックマッシュルームは比べものにならないほどの想起力がありました。
これを十把一絡げに「幻覚剤の影響」といえば、それまでかもです。だけど、少なくとも私にとってはとても神秘的で貴重な体験でした。
もちろん、マジックマッシュルームを食べてクラブで踊るのも好きでしたが、一番よく使っていたのは布団での瞑想用でした。
マジックマッシュルームでお金を儲けようとしたり、女の子にムリヤリ食べさせたり、エロいことには使いませんでした。作用がエロ向きではないというのもあるし、自宅に風呂がなかったというのもあります。
そして、「どうしてマジックマッシュルームを食べようと思ったの?」という恥ずかしすぎる質問については・・・反対に問います。なぜ食べなかったの?と。
人間を成長させるパワーの根源は好奇心や探究心です。それが自分自身の精神に向かうこと、精神世界を探求してみたくなることは、ごく自然だと思います。
マジックマッシュルームは「サイケデリクス(幻覚剤)」という種類のドラッグであり、覚醒剤のようなものとはまったく違います。宗教的な儀式とも密接に関わってきた歴史があります。
私はもっともっと自分の精神を知りたかった。古代のシャーマンたちが見た世界を垣間見たかった。なので、マジックマッシュルームを食べていました。いまでもそのことは一切後悔していません。
マジックマッシュルームがカルチャーに与えた影響
マジックマッシュルームと作用が似ているドラッグに「LSD」というものがあります。LSDも、昔は合法的に使用ができました。詩人の谷川俊太郎さんはLSDを摂取した状態でラジオ番組を放送したこともあります。
1960年代に「LSDを全米の若者たちにばらまいて意識革命を起こそうぜ」という運動がありました。運動の中心にいたのは「メリー・プランクスターズ」と名乗る集団。「ファーザー号」というサイケデリックにペイントされたバスに乗って、「アシッド(LSD)テスト」と称してLSDを配りまくりました。
そこらへんのドキュメンタリーはこちらのDVDで。
では、マジックマッシュルームが合法的だった時代の日本はどうだったのか。実際、かなりたくさんの人がマジックマッシュルームを摂取していたハズです。アーティストだって文化人だって食べていたハズ。
しかし、日本ではメリー・プランクスターズのような運動は起こらず、あくまで個人の体験に留まっていたように感じます。
京都大学には有名な「京大キノコ部」というサークルがあったり、変性意識を研究する「オルタードディメンション研究会」という存在もあったけど、私はどちらにも関わっていませんでした。
ほかにも、聞いた話だけなのであまり信憑性がないけれど、セミナーグループか宗教団体ぽいのが若者を集めて集団でマジックマッシュルームを食べてセッションみたいなことをやっているというウワサもありました。
まぁ、あまりにマジックマッシュルームが身近にありすぎたため、たとえばわざわざ京大キノコ部にコンタクトを取らなくても、ヘンなセミナーグループへ参加しなくても、自分で作って食って遊んでりゃいいじゃん、という状態でした。
あえて言うなら、現在のフェス/レイブ/EDMのようなダンスミュージックで踊るというカルチャーの土台の一片を担ったのがマジックマッシュルームだったと思います。当時、インドやヨーロッパからやってきたダンスミュージックはとても刺激的でした。
しかし、まだ私たちは「音楽で自由に踊る」のに慣れていなかったのです。「クラブへ行ってみたいけど、踊り方が分からないしー」というのは、よく聞いた話です。電気GROOVEのライブでも「瀧のマネして踊ればいいんだよ」みたいなことを囁いていました。いまだと笑い話にしか聞こえませんけどね。
マジックマッシュルームを食べると勝手にカラダが踊り出します。音がうねりとなり、映像となり、神となり、とことん楽しめます。それはかつてない開放感でした。
すんごいムリヤリなこじつけだけど、オールスタンディングで音楽を楽しむことが広まった時代は、マジックマッシュルームが広まった時代と被るように思えます。
それ以外の社会の変革は・・・何もありませんでした。
あまりにまだ、私たち自身が若かったのだと思います。マジックマッシュルームを通じて知覚の扉が開いたとしても、個人の啓示としてしか受け止めていませんでした。「みんなで食って世界を変えてやるぜ!」みたいな大げさな意識には(少なくとも私は)なりませんでした。音楽やアートに影響もあったのかもしれないけど、その後に法律で規制されてしまったので、おおっぴらに「キノコに影響されました!」とは言いづらい時代になりました(その点、ジョブズは自伝のイントロでLSDを絶賛していて素晴らしいと思いました)。
また、これは違うかもだけど、オウムの影響もあったのかもです。良質なLSDを密造し、集団で摂取していた彼らを徹底的に叩く風潮があった後なので、「みんなで意識革命をする」みたいなことに抵抗があったのかも。
アメリカではアーカリオン(Arcalion)やサーミオン(Sermion)30mgのように「スマートドラッグ」と呼ばれる「脳を活性化させるサプリ」、[パキシルジェネリック]パロキセチン(Paroxetine)20mgや5-HTP(5-ヒドロキシ・トリプトファン)100mgのようなメンタルヘルス系のサプリがたくさん販売されているのに、日本のサプリはビタミンとか青汁とかジジイ向けのものばかりなのも、オウムの余波なのかなと思うことがあります。
まとめ
マジックマッシュルームが自由だった時代は、あまりに自由すぎたため、それを「聖なるソーマ」として崇めることもなく、気軽に使われすぎていた。
SNSやスマホ、他のキャリアへケータイメールを送ることができない時代だったので、いまほど「連帯」はできなかった。
結果として、社会を変革するムーブメントにはならず、個人の体験に留まっていた。その後に規制されたため、個人が体験談を語ることも少ない状態。
オウムバッシングの悪夢が冷めあらぬ時代だったので、意識革命は怪しいものと見なされがちだった(?)
・・・だけど、私は本当にこのマジックマッシュルームからたくさんのことを学びました。「扉の先通信」の「マ」のロゴが、曲がったキノコの形になっているのも、リスペクトを込めてのことです。
危険性を含んでいるため、誰だって気軽に食べた方がよいとは言えませんが、食べたい人は食べられるような世界が理想です。
私も、死の直前にはどんぶり一杯食べて、サイケデリックな状態で肉体から精神を切り離したいのが希望です。そんな感じで看取ってやってくださいませ。
その後のマジックマッシュルーム
法律で規制されてからは本当に見かけなくなりました。一度、いまでもなぜそこに入ったのか分からない池袋の怪しいお店で、バイアグラ等と一緒にマジックマッシュルームの「胞子紋」とされるものが売られていたことがありました。
胞子紋とはキノコの胞子を紙の上に落としたようなもので、かなり上手にやれば胞子紋からキノコを栽培することが可能です。でも、バイアグラを売っているような店でひょいっと置いてある胞子紋から栽培できるとは到底思えず、なんだかなーと思いました(栽培したら法律で罰せられます)。
あとは、首相官邸に生えていたとか、中島らもさんの冷蔵庫にうっかり入ってたとか・・・
日本ではもう育てられないけど、いまでもたまにマジックマッシュルームを育ててたころの夢を見ます。成長がすごく早いので、2、3日家を空けてたらうひゃーっ!みたいなことにもなりがちでした。
このサイトの写真とか見てると、もう懐かしさ満点です。
【外部サイト】Paddo kweeksets, truffels, sporen en kweekbenodigdheden koop je bij Magic-Mushrooms-Shop.com
※日本へは発送してくれないし、法律で禁止されているから購入しないように注意してください。
マジックマッシュルームを探している人へ
日本国内ではマジックマッシュルームは完全に禁止されました。
その一方、先進国では「マジックマッシュルーム体験を日常に活かせるのでは?」という試みが始まっており、オランダではマジックマッシュルームとほぼ同成分の「マジックトリュフ」を使ったシロシビンリトリートイベントが合法的に開催されています。
胡散臭いもの、危険なもの、堕落した人が使うもの・・・というような偏見を吹き飛ばす爽やかさです。
【外部サイト】Synthesis: Legal Psychedelic Retreat with Psilocybin
シロシビンリトリートを行っている「Synthesis」のサイトの冒頭では、このように述べられています。
「サードウェーブ」とは、実用的で実践的なサイケデリックの新しい時代。ドロップアウトや社会への反抗ではなく、サイケデリック体験をメインストリーム・カルチャーに統合する時代です。
(マゲオ訳)
この言葉は、我々が強く意識しなくてはならないものだと思います。
※海外における(日本の法律の)違法行為を助長するのが目的ではありません
おまけ
「昔はよかったんスね〜」みたいに思われるかもだけど、今は今で、大麻が自由な時代になっています。インターネットやスマホも進化したから、ちょっと情報を調べて、嗜好用の大麻が解禁されているアメリカの州へ行けば、尻から煙が出るまで安い値段で吸いまくれます。クオリティも昔とは比べ物にならないほど高いし、好みに合わせてさまざまなトビ方から品種をチョイスできます。
また、大麻から酩酊成分を取り除いて「リラックス」だけの高いメリットが得られるようにしたサプリメント、「CBDオイル」という新しい選択肢も出てきました。
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それでは、いまの時代はなにか社会に変革が起きているのか?は、分かりません。アメリカは相変わらず戦争が好きです。
「大麻が解禁されたころってどんな時代だったんスか?」と聞かれた時に、ちゃんと答えられるように考え続けておきたいですね!
※現在の私はいわゆるマジックマッシュルームの所持・栽培はしていません
※写真はすべて規制前の時代に撮影したものです