バーニングマンへチャリで行った話・2002【後編】

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バーニングマン2002の生活の生活がなんとか始まりました。思い出をいくつか書いてみます。

S太とケンチャンファミリー

俺のバーニングマンライフを変える出来事が起こったのは3日目くらいだったでしょうか。

その日は東京でも少し会ったことのあるイイ男、S太とセンターカフェで偶然出会い、S太のキャンプでメシを食ったり蹄鉄投げをして遊んだりしてました。

で、さんざん楽しいことをやってたらすごく眠くなってきたため、S太のテントに入って二人でゴロ寝をしておりました。ストーンと眠ってしまいました。

で、気がつくとすでに日没。

ブラックロックは日中クソ暑いくせに、日が沈むと10度以下まで冷え込むのです。昼間から遊んでいた私はTシャツと短パンという軽装。

S太は「いやー、着るものって最低限しか持ってきてないんだよねー」と言いつつ、なんだか暖かそうなジャケットに身を包んで眠っています(就職活動中らしく、バーニングマンに来てるのに車の中にはスーツが掛かっていた)。

起こすのも悪いし、寒くてたまらんので自分のテントに戻って何か着てこようと思ったのがすべての始まりでした。

寒さに震えながらテクテク歩いて帰路につきました。そう、普段ならばチャリ移動なのに(チャリで来てるからね)、この日はチャリのないS太に合わせてずっと歩いて行動していたのです。これも失敗でした。

「Walk in Space」に設置してあるマイテントを目指して歩き始めました。

てくてくてく。
歩いています。てくてくてく。

てく、てく。

・・・・・

お、俺のテントはどこじゃーーーーー!!

なんと、すっかり自分のテントの場所がわからなくなってしまったのです。入場者が増えてテントやらオブジェがあちこちに設置され、近所の風景が変わってきていたのも原因の一つでした。

今年で4回も来てるのにこんなよくある落とし穴に落ちるとは!がびーん。つーか寒さで死にそう・・。

とーりあえず歩き回ってみました。足が棒になるまで歩きまくったけど、やっぱりどこにもテントがない!頭はどんどん混乱してきます。

どどどど、どうしよう・・・。つーか寒い・・・。もう真っ暗になってきた・・・。

そんなとき、心の中に強い考えが生まれてきました。

「センターカフェに行こう。もしかしたらケンさんたちがいるかもしれない」

そう、大阪の赤いアーティスト浜崎健さんが今年もバーニングマンに来ていて、まだ出会えてないけど「会いましょう!」という話をずっとしていたのです。

なにはともあれ、センターカフェなら人もいるし、誰でもいいから助けてもらおうと思い向かうことに決めました。

*今になって冷静に考えれば、センターカフェまで行かなくても、近くの誰かに事情を話せば気軽に助けてくれたと思います。でもこのときは頭が混乱しまくりで、とてもそんなことはできませんでした・・・。

寒さと戦いながら歯を食いしばってセンターカフェへ歩き始めました。

だ、誰かいるかいな・・・。
やっぱりケンさんたちはいないか・・・。
ちょっと一周してみようかな・・・。

そーんなことを考えていたら、なんと!びっくり!
真っ赤な集団、ケンチャンファミリーを発見したのです!!

「けけけっけ、ケンさーーん! おおお、お久しぶりです!」
「おおお! 久しぶり! どうしてんの?」
「そ、それが自分のテントが分かんなくなっちゃって、とりあえず寒くて・・」

どうして俺は人と出会うときにはいつもこうなのでしょう。

ひとまずケンさんと一緒に来ていたリョウ君からダウンジャケットを借り、さらに自分の寝床を見失った僕に「車の中」という夢のような場所を提供してもらいました。

バカっ広い会場において、こうも偶然にケンさんたちと出会うことができたのは奇跡でした。ともあれ、私はまた命拾いをしたのでありました。

翌日、マゲオテントはあっさりと発見できました。やっぱ暗いと分かんないよなー。怖いもんだなー。チャリも荷物も昨日遊びに出かけたときのままでそこにありました。

で、非常に図々しい感じもあったけど、この日から僕はケンチャンファミリーと一緒にキャンプをすることになったのでした。

まぁ、食料はベーグル24個で水は2ガロンという、あまりに貧相すぎる姿を見かねて保護してくれたという方が正しいのかもしれません。考えてみると僕のバーニングマンライフにおいて日本人の誰かと一緒にキャンプをするってのは初めてでした。

1998年、1999年はIllumination Villageでキャンプしてたけど、そのときは日本語が分かる人なんて誰もいないし、決して気楽な感じじゃなかったです。

2000年のときは近くで東京から来た4人衆がキャンプしてたのでよく遊びに行ってたけど、基本的には一人の生活でした。

それが今年はこんなにも暖かく赤い人たちと一緒にキャンプ・・・。それだけで涙腺がウルウルしてお腹がグーグーしてきたので、さっそくお湯を借りて念願のカップ麺を食べました。

本当にお世話になりました!!!!!!!

TIMの思い出

バーニングマン2002に参加した日本人女子の皆様には強烈なイメージで残っているであろうナイス・ガイ、それがティム。公衆衛生のスペシャリスト(?)として日本で仕事をしていたという胡散臭いこのオッサンは、日本人の女の子を手当たり次第に口説きまくっていました。

私はティムの行動から、さまざまなインスピレーションを得ることができました。

まず、ウソだか本当だか分かんないけど「自分のキャンプにはプールがある」というブルジョワっぷり。本当なんかいな。プールってビニールプールじゃないのかい。ていうか男の俺にはそんな話は一言も伝えていなかったではないか。ずるい。

次に女の子を自分のキャンプに呼んだときには「自分のチャリと女の子のチャリを同じチェーンキーでロック」。こうすることによってコッソリと逃げられることを防げます。バーニングマンへチャリを持って来ていても、カギまでは携帯している人は少ないため「パクられないように」とかなんとか適当な理由をつけて一緒にロックしてしまうのです。

そして、「自分の吐いた煙は口移しで女の子へ渡す」。ケチケチ吸うときの基本として、自分の吐いた煙を周りの人の鼻先へ吹きかけるという方法があるじゃないですか。一人の時はビニールに入れるとかね(イヤになるほどケチな姿だ)。それの発展系として口から煙を出しつつ、徐々に近づいてキッスをするのです。きゃー! こんな方法あるなんてすっかり気づかなかったワ!

ぜひ試してみようと思っております。

モテたくて・・・

センターカフェで出会った一人のアメリカ人と万国共通のエロ話で盛り上がってました。

「で、おまえってバーニングマンでヤったことあるの?」
「いやー、それが4回も来てるのに一度もないんだよね。やっぱ日本人だとムリでしょ」
「そんなことないって! 日本人は神秘的なイメージがあるからアメリカ人よりも楽勝だよ!」
「うそーん。本当に?」
「本当だって! 俺の友達を今度紹介してやるよ!」
「そりゃありがたい。オーラルだけでもいいよ」
「はっはっは! オーラルは最高だよな!!」

そんなどうでもいい会話を繰り広げていたら、そいつの友達の女の子がやって来ました。

「お、どうしてたの?」
「あっちにおもしろいところがあってかなりサイコーだったよ!」
「それじゃ一緒に行ってみるか。あんたまたな、バーイ!」

え、おい、コラ。紹介するって話はどうなったんじゃい。
というわけで私はまだバーニングマンでメイク・ラブの経験がありません。

来年はどうぞよろしく。

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