鹿野山BURNに行ってみた【2014】

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2014年、8月14日。マゲオ+宇宙メガネの合同チームはガチな美人秘書と共に、千葉県は君津市・鹿野山を目指していた。本日、鹿野山の盆踊りと共に「人形焼き」が行われるのである。

査定価格3000円の車

人形焼きとは、ワラ人形を燃やすことによって煙を出し、害虫を駆除する「虫追い」という年中行事。鹿野山の人形焼きは特産物である大根の豊穣を願い、さらには「人形焼きが倒れた方角は豊作になる」という言い伝えもある。

虫追いの文化は日本中に幅広く存在するが、マゲオ+宇宙メガネの合同チームがガチな美人秘書と共に査定価格3,000円の車で来た理由は・・・鹿野山の人形が誇る、この堂々たるフォルムのためじゃい!!!!!

鹿野山BURN

全身がワラで組まれ、乳房(絶望的な貧乳)と男根(まごう事なき長茎)、顔はへのへのもへじ、頭の上にはビニール傘という完璧なデザイン。さらに男根は竹が後ろに伸びており(この竹にワラを巻き付けて男根にしている)、後ろから竹を操作することで男根を上下左右に動かすことができるのだ!!!!!

祭りの始まり

夜7時。まずは盆踊りがスタート。総勢40名くらいだろうか。素晴らしくローカルな祭りの雰囲気。「受付」はあるけれど「屋台」のような売店はない。「きよしのズンドコ節」や「君津音頭」のような定番曲がエンドレスで流れ、少しずつ盛り上がってきた。

日が暮れたために、駐車場に設置された藁人形(面倒くさいので今後は「MAN」と呼ぶ)が投光器でライトアップされ始めた。日中に見るのとはまた違った姿に見える。

ロケットニュースやガジェット通信くらいは来ているかと思ったが、見渡す限り一切存在せず。そもそも、外部の人間は我々しかいないんじゃないかという、アープ・2500でインドのメロディでも弾いた方がよいんじゃないかと思わせるアウェイ感。

鹿野山の方々も、明らかに外部な我々に気づいている。こういうときは・・・踊るしかない!!!!!!!

と、張り切りつつも初めて聞く君津音頭はなかなか難しく、いつまでたってもタドタドしいまま。MANが燃やされる時間の8時も近づいてきたため、一度戦線を離脱してMANのまわりへ向かうことに。

BURN THE MAN

この時点で、MANのまわりには人が4人くらい(うち、3人は我々)。

そこへ明らかに飲酒運転と思わしき軽自動車が走ってきて、手早くMANの前に祭壇が作られ、和楽器が設置された。

「おいおい、マイクないよマイク」

そんなやりとりの後、やっぱりマイクはみつからなかったようで「大声」でアナウンスが始まった。

「この人形焼きは大根の豊作を願い、江戸時代から続いております。人形が倒れた方角は豊作になると言われています・・・」

そしてピーヒョロロと演奏が始まり・・・松明を持ったオッチャンが早足で近づいてきた。

松明くる

そして、ワリにささっと点火。パチパチと燃え始めるMAN。しかし、オッチャンは火の手が弱いと判断したのか、MANに向かってポリタンクからダイレクトに灯油をBUKKAKEる始末!!!!!!!(危険アブナイ)。

点火

細かく編んだワラが燃える様は、木や炭が燃えるのとはまた違って美しく、まるで筋肉の筋や血管のようだった。サイケデリック・アートの巨匠・アレックス・グレイがよく描いた血管まる見え人間を思い出させた。ひょっとしたらアレックス・グレイもこれを見ていたのかも知れない。

燃えさかる炎。体のパーツが、徐々に燃え落ちていく。心棒のしっかりしている珍棒部分だけはなかなか燃えず、まるで炎の中から突き出ているように見える。障子をちんこで突き破るより過激に、炎からちんこが突き出ているのである。

ちんこをゆらす

盆踊り会場にいた観客はほぼすべてこちらへ移動してきていると見え、40人くらいだろうか。幼児や中学生もいる。彼らにしてみたら、「え?盆踊りって藁人形燃やすでしょ?ちんこ上下させるでしょ?」という記憶がデフォルトになるのだろう。その土地固有の記憶。帰属意識の消失がさまざまな社会的不安・トラブルを引き起こしている現代社会において、非常に心強いものである。ガンガン根付かせるべきである。

火の手が強まるMAN。しっかりと白い煙が山を包む。ときおり通る自動車が明らかにビビっている。上下され続ける男根。ゆらゆらとバランスを失い始めるMAN。そしてついに、東向きへと燃え崩れた。今年は東側が豊作になるようだ。パラパラとわき起こる拍手。そして皆さん、再び盆踊り会場へ。

BURN THE MAN

AFTER BURN

MAN BURNの後に行われたのはまさかのスイカ割り。さらに、スイカを割るための道具は「竹」。そう、さっきまでMANの男根を上下させていたのと同じ植物、竹なのだ。普通に考えて竹のような「しなる」ものはスイカ割りにはまったく向いていない。重量も軽いし、どれだけクリーン・ヒットさせたところで、ぶいーんとしなって終わってしまう。角材やバットを用いないと、スイカなんて割ることはできない。

案の定、「幼稚園の部」「小学生の部」「中学生の部」と三部に別れてスタートしたスイカ割りは、会場全体が「右!左!ちょっと後ろ!」と一丸になってサポートするにも関わらず、スイカを割ることなくゆるゆると進行していく。

つまりこれは、スイカを割ることが目的ではないのだ。シンボルタワー「MAN」を支えていた竹、その竹を手に持ち目隠しでスイカに挑む、集落全体のサポート、どれだけ挑んでも割れないスイカ、しかし温かく迎えてくれる集落。この体験こそが目的なのだ。安易にMIZUNO製のバットを使えばスイカは一瞬で割れてしまうだろう。しかし、ここではスイカを割ること自体は重要ではない。ひとつの目的に向かって、共に協力すること。それこそが重要なのだ。

会場の片隅でスイカ割りを応援していた我々に、地元の方が缶ビールの差し入れをしてくれた。残念ながら査定価格3,000円の車で来ていたため丁重にお断りしたが、次はスイカを振る舞ってくれた。みんなで輪になって食べるスイカ。タネはポトポトと足下へ。

そして再び盆踊りスタート。東京へ戻る時間も気になったが、もうひと踊りご一緒させていただく。踊りが回る方向は左回り。モッシュするときと同じ方向である。

帰り際、地元のオッチャンと挨拶を交わし、再会を誓って握手をした。そうだ、来年は日本酒の一本でも持ってこよう。浴衣でも着てこよう。

我々はなんとも不思議な感覚に包まれていた。とてつもなく濃密だった。滞在時間はわずか3時間程度。外部の人間である我々を温かく迎えてくれ、タダでビールやスイカを振る舞ってもらった。盆踊り・人形焼き・スイカ割りという共通の目的に向かって、みんなで盛り上がった。これこそが日本の祭り。地域と文化を再生させる共通の行動。

アメリカでも鹿野山の人形焼きを模したようなイベントが砂漠で行われているそうだが、日本の方がはるかに長い歴史と重みを持っており、誇れることだと思う。

CIMG0160

鹿野山に影響をされたと思わしきアメリカの祭り

君津市・鹿野山の皆様、本当にありがとうございました。