理念を持たずに起業してもいいと思うし、がんばらなくてもいいと思う

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なぜかたまに若者から人生相談を受けるマゲオです。で、先日の「何者かになりたかった若者たち – 21世紀の泥沼作戦(寝言を自動手記)」じゃないけれど、みんなすごいなーと思います。

「WEBサービスを作りたいんです!」とか「アプリを作るんです!」とか「ソーシャルからリアルにつなげられるスキームを(以下略)」とか、俺、ハタチそこそこのときはなーんにもやっていなかったのに、みんなすごいなーと思います。

んで、「マゲオさん、僕と同い年のころって何やってました?」とよく聞かれるので参考までに書いてみます。

  • 18歳:大学進学に伴い、アナログシンセを抱えて上京。田舎者すぎたために東京の生活に一切ついて行けず。東京は深夜でもテレビを放送していたこともあり、すっかり深夜のB級映画にハマる。
  • 19歳:大学には通いつつ、休みの間はほとんど引きこもり状態。散髪代を節約するためにT字カミソリひとつでスキンヘッドにして、哲学書とアウトドア本ばかり読む日々。雑誌やラジオにおもしろネタのハガキを投稿し、採用されまくったことから文章を書く楽しさを知る(当時は面白いことを思いついても喋る友人もいなければネットもなかったので、雑誌やラジオが唯一のハケ口だった)。
  • 20歳:コンビニバイトで知り合った女の子のおかげで童貞を卒業。急激にモテを意識し始めて、ディズニーランドへ行ったりする。ようやく東京の暮らしに馴染み始める。
  • 21歳:あっさりと別れを告げられ、人生を振り返る。もっと遊びたい、やりたいことやりたいという欲が出てくる。
  • 22歳:就職活動を一切せず、ビデオ屋でバイトをする。そのお金で旅に出たり、野外レイヴパーティーに毎週出かけるようになる。旅先でのんびりしすぎていたら大学の卒業式が終わっていた。マジックマッシュルームを栽培しまくる。
  • 23歳:自分のコンピュータ知識が仕事になることにようやく気づく。スーパーで米俵を運ぶようなバイトから、コンピュータ系の派遣社員に変えたら一気に生活が豊かになる。マジックマッシュルームを栽培しまくる。
  • 24歳:女子大生と付き合い始めるが、まさか自宅が風呂なし四畳半だとは言えず、がんばって風呂付きに引っ越しをする。そして、さも前からココに住んでるようなツラで押し通す。
  • 25歳:どうにもこうにも仕事で疲れていたため、近所にあった「マッサージ」の看板の店を初訪問。マッサージもそこそこにいきなり風俗サービスが始まり、自分の無知を再確認。余計に疲れる。
  • 26歳:なんかやってたっけな・・・。

つまり・・・ほとんど何もやっていない!!!!! 本当に目の前のことしか考えていなかったし、何もがむしゃらにやっていませんでした。徹夜で作業なんてしたことないんじゃないかしら。

世間一般とズレてしまったキッカケとしては、大学に馴染めなかったために同級生の友人が少なく、さらに就職活動を一切しなかったので同期組のような存在もなく、よくも悪くも比較対象がなかったこと。

SNSでのリア充アピールもなかったから、ひたすらマイペースでした。ドカベン全巻買ってみたりしていました。風呂なし四畳半は家賃が3万円だったので、そんなに仕事をしなくても生活できていたのも強かったです。

時給制の仕事を17時きっちりで終えて→高田馬場のスポーツジムで汗を流してサウナに入って→帰りに西友でお総菜買って→家で食べてもまだ20時!みたいな幸せな時間でした。

その後はもうちょっとちゃんとした家に住んだり、もうちょっとマジメに会社員をやったりしました。

いまは自分ひとりの会社で、執筆&イベント業をメインでやっでメシを食っています。でもそれも、会社員を辞めたときにはまったく考えていないことでした。

前職の会社はそこそこよい会社だったけど、10年近く勤めてたし、出世すればするほど忙しくなるという構図が見えていたし、実際かなり「なんとなく」辞めてしまいました。

そして、最初は失業保険でももらいながらしばらく生活しようかなーと思っていたけど、ここでも自分の無知っぷりが露呈してしまいました。俺、てっきり失業保険って「給与の8割」くらいはもらえると思っていたのに、上限の規定みたいなのがあって、それまでの給与の半額くらいしかもらえないことが判明したのです。

もちろん、失業保険をもらっている最中は求職活動をしなくちゃだし、ギャラが発生する仕事をしてはダメです。さらに失業保険がもらえるのは数ヶ月後。

「求職活動しているけど見つからないんスよー」みたいな芝居を打つのにも抵抗があったし、あまりにハロワの居心地が悪かったので(リアルに求職活動している人たちがたくさんいた)、失業保険をもらうよりも前に起業しました。

起業のきっかけは「いい年齢なのに会社を辞めてそのまま再就職すると、よほど前の会社がイヤだったのかアホだったのかと思われそう。一度ウソでも起業しておけば、失敗して再就職するときでも「起業に失敗したので再就職する人」という免罪符が持てる」というものです。

もちろん、起業するには「ウチの会社はこんなことやりますよ」という定款の作成やら資本金の準備が必要です。定款はとりあえず自分がやれること・やりそうなことを全部書いておきました。執筆からイベント、物販、インターネット関連、そしてなぜか「旅館経営」まで・・・。資本金は1円でもよかったけど、とりあえず10万円にしました。もう使ったけどね!(よく、資本金は使ったらダメなお金と勘違いされていることがありますが、まったくそんなことはありません)。

起業した後は、会社員時代にやりたくてもできなかったことを全部やってやろうと思いました。

「扉の先通信」のリニューアルもそうだし、イベントに力を入れるのもそう。行ってみたかった場所は全部行って、会いたかった人にも積極的に会って。

そして、少しずつ自分の中で「できること」と「やりたいこと」と「稼げること」のバランスを取るようにしていきました。

たとえば、情報商材屋がよく売っている「格安SIMや女の子の脱毛サロンなど、アフィリエイト料が高いサイトを作って一儲け」みたいなのに心を惹かれたこともありました。WEB作るのなら得意だし、これは「できること」と「稼げること」のふたつがトガっているパターンです。でも、やりたくなかった。とことんつまらなかった。SEOを考えたらムダに話を長くしなきゃだけど、読者に面倒くさい思いをさせるような文章なんて書きたくなかった。

イベントは「できる」し「やりたい」だったけど、ほとんど稼げていなかったので大急ぎでスキームを整えて、ある程度は稼げるようになりました。

「扉の先通信」に掲載している文章も、結局はサイケデリックカルチャーのこととか自分の得意分野がメインです。会社員時代にはほとんど収益がなかったけど、いろいろ仕組みを作ったから、いまはそこそこ稼げています。レビュー記事の執筆とかで物をもらうことも多いです。メインで使っているASUSのタブレットももらいものだし、Bluetoothイヤフォンは4つもあります。

それと同時に、ムダはどんどん省きました。Macを2台持っていたのもひとつにして、スマホをやめてタブレットにして090の電話番号から050のIPフォンに切り替えて(現在、毎月800円くらいしか払っていない)、基本的に自炊で、目的の分からない約束はすべて断って。

毎日、そばばっかり食ってる気がする。

そう、別に理念を持たずに起業してもいいと思うし、がんばらなくてもいいと思うんです。

「WEBサービスを作りたいけどアイデアに困っているんです」とかいう話を聞くと、本末転倒すぎてさっぱり理解できません。アイデアを実現するためのサービスじゃないのかい・・・と。

やっぱり、やりたくないことってよほどギャラがよくない限りは続かないんですよね。だったらやらない方がいいです。やりたいことで稼げるようになること、その金額で生活できるようになることを考える方がクリエイティブだと思います。やりたくないことやってお金を稼ぐのなら、会社員の方がよっぽど儲かります。

20代のうちはやっすい家に暮らして遊びまくってるくらいがよいと思います。そういうのを経験してない人と会話してても楽しくないです。そして、楽しくない人が楽しいものを作り出せるのか・・・俺には分かりません。