坂爪圭吾さんの熱海の家を訪問してみた

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お断り その1
当初、訪問したお家の家主である坂爪圭吾さんのお名前を伏せた投稿にしようかとも思いましたが、それだとボンヤリした内容になってしまうこと、坂爪さんご本人が住所も名前も顔も電話番号もぜーんぶ公開されていることから、当ブログの投稿でも坂爪さんのお名前を掲載させていただきました。

お断り その2
私は坂爪さんのブログを読んでおらず、前知識が一切ないまま訪問しました。

不思議なお誘いで熱海へ

1月のある日、「熱海におもしろいところがあるから行きませんか?」という誘いをもらいました。古い家を譲り受けて住んでいる人がいて、自由に遊びに行けるとのこと。そのときの私は「古民家カフェみたいなものかな」と思い、熱海でイベントをするときのスペースとして使えたらおもしろいかもなーと思って、「じゃ、行ってみましょう!」と返事をしました。

細い道や急な坂を車で上ったり降りたりして、とても入り組んだ先に坂爪さんの家がありました(あとから知りましたが、ほとんどの人は駅から徒歩で来ているようで、それはそれは大変だろうなと思いました)。

坂爪さん登場

「どうもどうもー」と下駄履きで登場した坂爪さん。なんとも爽やかな若者でした。どこからも毒々しさや、後ろめたさを感じない、ついさっきまでヴィバッサナー瞑想をやっていたんじゃないかというくらい、澄んだ瞳をしていました。

「すでにおふたり訪問されているんですよ」

玄関を開けると、ふたりの女性が手作りお弁当を食べていました。軽く挨拶して奥の間へ。ハーマンカードンのスピーカーとiPhone、オイルヒーター。余計なものがなく、シンプルな和室。畳が足に心地よいです。

出していただいたお茶を飲んでいたら、宅配便が届きました。

中には、手紙や食べ物、植物の種や、季節がらバレンタインのチョコなどなど。

「あー、これはうれしい。ありがとうございます。みんなでいただきましょう」

坂爪さんの「ありがとうございます」は実に滑舌よく、これまで何度もその言葉を発してきたんだろうなと思いました。ちなみに私は、上手に「ありがとうございます」と発音できません。「が」と「とう」が上手につなげられないのです。

宅配便の中身を丁寧に確認し、手紙をやさしい目で読んでいる坂爪さんへ、まったく前知識がなかった私は素直な質問を投げかけました。

「それって勝手に届くんですか?」

一瞬、タメがあったようにも感じたけど、

「そうですね。贈り物というか」

という返答。

この時点でも、私の頭の中にはハテナがいっぱいでした。この人、何なのだろう・・・。

そうすると、お弁当を食べていた女性がこちら側へ合流して、「私も持ってきたんですけど」と言ってカバンを開け始めました。

次々に紹介される、ちょっといいものたち。さらに「お気持ちです」という封筒。

女性ふたりは、ひとりは東京、もうひとりは関西方面からやって来たとのこと。

さらにもう少しすると、男性がひとりずつ×2名、女性がひとりずつ×2名やって来ました。女性はみんなお土産を持っていました。

人が増えてきたというのに、家主である坂爪さんは外に出てゴミを燃やしています。テーブルの上はお土産であふれ、みんながパクパクと食べています。

私の頭の中は混乱し始めました

私が今回熱海を訪れたのは、友人に会いたいという気持ちと、その人がお気に入りというのはどんな場所か見てみたい、あわよくば何か便利に使えるかもという明確な目的がありました。

しかし、次々に訪問して来る人たちは何を求めてここに来ているんだろう・・・?坂爪さんに会うため・・・? そのワリに、坂爪さんは何もしていないし、かといってみんな積極的に話しかけに行くようなこともなく・・・。

以前、「現代の駆け込み寺」と言われたシェアハウス「リバ邸」に遊びに行ったときは、もっとみんなが主張しあっていました。挨拶の最初は「何をやっている人ですか?」という感じで、「何かやっている人」や「何かをやりたい人」が集まっている場所でした。

しかし、ここに集まっている人の挨拶は(熱海という場所柄なのか)「どこから来ました?」というのが最初で、その後はあまり会話が続かないのです。盛り上げようとする人もおらず、沈黙の時間も長くありました。しかし、それぞれが心地よさそうにボケーっとしています。

私の頭の中はさらに混乱し始めました

また、退屈な時間にありがちな「みんなスマホをいじっている」という状態にもなっていません。つまり、みんなの意識はあくまで「いまここ」にあります。だけど、それぞれの意識を主張し合うでもなく、ゆっくりと過ごしています。

ひとりの女の子はやたらと写真を撮っていました。「記憶力がないので、全部撮影しているんですよ」とか「ブログ用に」みたいなことを言ってたような。キッチンに立って料理をし始める女性もいました。

私の頭の中はさらにさらに混乱し始めました

私が過去に触れ合ってきたコミュニティは、共通の目的意識があったり、音楽やプログラミングといった趣味があったり、強烈なパーソナリティを持ったリーダー格がいました。そのコミュニティにいれば、自分も成長できるんじゃないかと思える場所でした。

しかし、ここに集う人たちからはそういう空気を感じ取れないのです。語弊を恐れずに表現すれば「空虚」にさえ感じるのです。そして、本来ならその空虚を埋める役割が坂爪さんなのかもですが、およそホストっぽい動きをしていません。居心地のよい放置です。

「自由に持ってきて・持って帰ってよい本棚」というのを見せてもらいました。谷川俊太郎さんの詩集や、アリシア・ベイ・ローレルの本、SPECTATORや、お金を使わずに生きる本などがありました。

いずれも、トゲトゲしくない本ばかりです。「人生を変える」とか「○○反対」とか、そういう「引っ張る」本がないのが印象的でした。

カフェ、かな。と思いました

ここに集っている人たちは別に人生に息詰まっているでもなく、変革を求めているでもなく、空気感を共有するために集っている。その空気感の中で自らを振り返り、自らの中に答えを求めて、そしてまた帰って行く。

まだカフェが誇り高かった時代、カフェとはそういう存在でした。

なんだか、ちょっとがんばりすぎていたのかも。がんばることを周囲にも求めすぎていたのかも。開けっぴろげの玄関の先には大きな海が見えます。とても大きな青い固まり。砂浜で波がザブーンとなっているところも海だけど、波ひとつ感じられない沖合いの青い固まりも、また海です。

高まった自分の圧力を減圧してくれ、振り返ることができる体験は大切だと思います。坂爪さんに、来月開催するリトリートイベントのことを話していたら「ここは毎日がリトリートですね」と言っていたけど、確かにそんな感じかもです。

答えを求めること、求めた先に答えがあること。ついついそんなのが当たり前だと思っていたけど、そうじゃないことだってたくさんあります。それを知るための場所のように感じました。

答えが見つからないという状態に留めておくためにも、坂爪さんのことはあまり調べずにおいておきます。そして、あの場所は答えが見つからなくても許される空間であり続けて欲しいと願っています。

なんだかよく分からないけど、いろんな人が集まっていろんな贈り物が届いてきて、「ありがとうございます」と感謝する人がいて、うん、なんだかそれでいいように思いました。

私も、もっと上手に「ありがとうございます」と言えるようになりたいです。たくさんのことに。