今からもう25年くらい前、電気GROOVE・石野卓球はヨーロッパで流行り始めていた「テクノミュージック」をさかんに日本で広めようとしていた。
「これ、発音がよく分かんないですけど、レネ・エ・ガストンって読むのかな・・・」
当時、西海岸の片田舎に住んでいた私も、卓球さんが深夜ラジオで紹介する音楽にココロとカラダを踊らされていた。
そんな折り、「テクノミュージックグループ」の名目でかつて一世を風靡した「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」が突如復活。メディアは「テクノの元祖が復活した」と騒ぎ立て、まさかのニューアルバムは「テクノドン」というタイトルでリリースされた。
これに卓球さんは明確な嫌悪感を示した。「YMOの音楽(君に、胸キュン。とかライディーンとか)は、現在のジャンル分けでは「テクノポップ」であり、(ヨーロッパで流行り始めていたダンスミュージックの)テクノとは違う」と主張した。
今の時代なら、Perfumeの歌と、クラブでズンドコズンドコなっている曲を同じジャンルで呼ぶ人はいないだろうが、当時はジャンルそのものが作られている最中だったのだ。
地道な努力によってソーシャルにバイラルに徐々に広がりつつあった新しい「テクノ」が、旧来のメディアの力を使ったYMOの復活で、まるで違うものとして認識されてしまうことを、とにかく心配しているようだった。
「あー、テクノなら俺も好きですよ、トキオ!とか叫ぶヤツですよね」
・・・こんなことになると、いわゆるクラブミュージックのテクノ好きとしてはくやしくてタマランのだ。野外フェスへ踊りに行ってきたという話を聞きつけて「あらー、お母さんもダンス好きよ J( ‘ー`)し」と言われるようなもどかしさがあるのだ。
そのジャンルへの思い入れ、広めたい気持ちなんてのはほとんどの他人は分かってない。いくら地道に努力していたとしても、マスというのは大きな情報があればそちらに流され、上書きされてしまう。
幸いにもYMOの場合は「テクノドン」が旧来のファンにウケにくい内容(テクノポップではなくアンビエント)だったことや、メンバーが活動に積極的ではなかったため、「YMOの音楽=テクノ」という認識が広まることはなく、なんかぼんやりと活動を終了した。
もしあのとき、YMOが旧来のファンに受けるようなアルバムを「テクノドン」の名前でリリースし、もっと活動を続けていたなら・・・日本における「テクノ」の意味は大きく変わっていたかもしれない。ヨーロッパのテクノミュージシャンから「なんで日本のテクノはヒゲの人間がドラム叩いているんだ?」と疑問を持たれる世界になっていたかもしれない。
ここで僕らが学べること。
好きなもの・新しいものを広めたいのならとにかく全力で素早く行動すべきだ。そうでないと、大きな勢力が誤った情報で世間を上書きしてしまうかもしれない。そしてその誤った情報のみ知っている世間は、すぐに知ったふりをして、あんまりおもしろくないよねなんてことを言い出すかもしれない。
僕らには時間があまりに少なすぎる。