アーティストやコンテンツをオーガナイザー(運営者)側が用意せず、参加者それぞれが持ち寄って作り上げる「自主参加型フェス」が、たびたび「コミケぽい」と称されることがありました。
私はコミケに参加したことがないため、いつも「そうなのかなー。どうなんかなー」と、分からぬまま過ごしていました。
そして、ひとつの事実に到達しました。
レイヴトラベラーはふぁぼり、コミケ民はRTするのです。
レイヴトラベラー
世界の辺境で行われる音楽パーティ「レイヴ」を求めて旅をする人々。自己の意識拡張を大切にしているため、大麻やLSDといったドラッグにも寛容であり慣用。
コミケ民
都市の辺境で行われる巨大マーケット「コミケ」を中心に群がる人々。Twitterのアイコンはアニメ絵か動物の写真。リアルで会うと極端にうるさいか、極端におとなしい。
それぞれの違い
レイヴトラベラーは「自主参加型フェス」であっても、「個々が楽しむ」ことを最優先にしています。その「個」が集まることで「場」を作ろうとします。ダンスフロアの最前列では誰も会話していません。個々をお互いにリスペクトし、干渉し合わないようにしているため、全裸でいようと、ドラッグを楽しんでいようと、それはその人の楽しみ方ということで気にしません。そのために、情報が拡散しづらく、クローズドな存在になりがちです。
コミケ民は「みんなで楽しいことを共有する」ことを大切にしています。「自主参加型フェス」も、「みんな」で楽しめるように鍋を持って行ったりします。その輪に加わる敷居はとても低いですが、敷居の「内側」と「外側」、つまり「みんな」か「そうでないか」を明確に分けがちです。異物に対する寛容さがなく、全裸でいたらみんなに見せるために写真を撮るし、ドラッグを楽しんでいたら「俺もやりたい」とズカズカ入り込んでくるか、さげすんだ目で見られてしまいます。
総じて、レイヴトラベラーとコミケ民はギクシャクしがちです。
それは「個」を大切にするか「みんな」を大切にするかの根本的な違いがあるからです。
いまや、すべてが混ざり合う時代です。ひとつのフェス/イベントでレイヴトラベラーとコミケ民が同時に存在します。そんなとき、お互いに「この人は「個」を大切にしているのかな? 「みんな」を大切にしているのかな?」を意識して接すると、混ざりやすいと思います。
「パリピ」と蔑称される人々は「レイヴトラベラーの外見・音楽的趣向を伴いながら、やたらと明るいコミケ民のマインドを持つ」、新しい存在です。気軽に付き合いやすい一方、会話をしているとどんどんとエネルギーを吸収されていくような気がします。
もいっこ、「各地の祭りやフェスに大勢で参加する」というコンセプトで旅行業法を無視してツアーを作っている学生・社会人団体は流浪の遊牧民のように感じます。「集まりたい」「騒ぎたい」「盛り上がりたい」というのがあればOKで、すべての趣向に芯がありません。物見遊山の社会科見学をしているようなものだと思って、もし自分が好きなイベントへそういった人たちが訪れたときには、本当に好きになれるように魅力を伝えてみましょう。