1990年代末期、携帯電話が一般へ普及し、インターネットも少しずつ拡がりつつあったけど、まだSNSも高画質なデジカメもなかった時代。あのころに旅していた人たちが経験したであろう13のことを紹介します。
目次
- 0.1 しばらく連絡がつかなくなることを告知してから旅に出ていました
- 0.2 航空券は格安航空券ショップで購入する必要がありました
- 0.3 どんなCDを持って行こうかと一晩悩んでいました
- 0.4 座席の指定は当日になるまで分かりませんでした
- 0.5 空港内へ飲み物を持ち込めていました
- 0.6 フィルムをX線スキャンするときはドキドキしていました
- 0.7 空港のコンセントは誰も使っていませんでした
- 0.8 到着したら最初に地図を購入していました
- 0.9 ホテルは歩いて探していました
- 0.10 旅先で出会う女の子からは笑われていました
- 0.11 小切手を持って旅をしていました
- 0.12 ローマ字だらけのメールを書いていました
- 0.13 旅から帰ってきて、旅の話をするのが楽しみで仕方ありませんでした
- 1 未知の体験から、交流へと時代が変わったように感じます
しばらく連絡がつかなくなることを告知してから旅に出ていました
旅先では携帯電話のメールが受信できません。Eメールチェックも頻繁には行えません。しばらく連絡がつかなくなるけど大丈夫と告知してから旅に出ていました。そう、Googleのように。
航空券は格安航空券ショップで購入する必要がありました
航空券の販売システムは格安航空券ショップといった限定の店舗にしか解放されておらず、わざわざお店へ出向いて「来月の下旬にインドのゴアへ行きたいんですが・・・」と伝えて、検索してもらう必要がありました。価格も空席も日々変わるのに、「楽天トラベル」や「海外格安航空券予約サイト-skyticket.jp-」を使って自宅でチェックできるようになるのはまだまだ先のことでした。
どんなCDを持って行こうかと一晩悩んでいました
iPod?クラウド上の音楽?まだまだ音楽が貴重だった時代には、「どんなCDを持って行くか」がとても大切でした。お気に入りのCDを現地で知り合った友人にプレゼントするのは、とても素晴らしい思い出になりました。
座席の指定は当日になるまで分かりませんでした
格安航空券を買うと、飛行機の座席指定ができることはほとんどありませんでした。窓側や通路側、希望を出したければ早めに空港に行ってチェックインカウンターで伝える必要がありました。
空港内へ飲み物を持ち込めていました
空港の外で買った飲み物や自宅から持参したお茶などを、ふつうにそのまま空港内・飛行機内へ持ち込みすることができていました。手荷物検査のゲートで飲み物を廃棄させられることはありませんでした。
アメリカへの入国審査も指紋や顔の画像を撮られることもなく、陽気な入国審査官へ「サイトシーイング、ツーウィークス」と伝えるだけで入国できていた時代です。
フィルムをX線スキャンするときはドキドキしていました
デジタルカメラの画質はメモ帳以下の時代。きちんとした写真を撮影したいなら大量のフィルムを持ち歩かなくてはなりませんでした。空港でX線を使って手荷物をスキャンされる際、フィルムがX線によってヘンなことにならないか(感光と言います)ドキドキしました。
空港のコンセントは誰も使っていませんでした
空港での過ごし方は本を読むか、ひたすら眠るか。誰もPCやスマホは触っていませんでした(存在していませんでした)。もちろん、空港のコンセントが奪い合いになることもありませんでした。
到着したら最初に地図を購入していました
Google Mapsへいつでもつなげられるのはまだまだ先。まず現地に到着したら、空港で地図を購入していました。日本で売っている地図は高価でした。
ホテルは歩いて探していました
日本から「Hotels.com」等を使ってホテルのネット予約なんてまだまだ先のこと。現地に着いたらめぼしいホテル街を探して、一軒ずつ訪問しながら「いくら?部屋は空いている?」という会話を繰り返しました。部屋代を値切ったときに「私の部屋ならその値段で泊まってもいいわよ」と受付の女の子から言われたことがあったのですが、アタマがボケていたために断ってしまいました。後悔しかありません。
旅先で出会う女の子からは笑われていました
巨大なバックパックを背負って旅をしていると、たまたま出会う女の子(現地の留学生やスーツケース持って旅行に来ているような子)から「なんでそんな旅やってるんですかー?猿岩石みたい!」と笑われていました。「旅をするのがカッコイイ」なんてのは、まだまだ遠い話でした。
ひょっとしたら今の若い子は有吉がヒッチハイクで旅していたことを知らない人もいるのでしょうか・・・。テレビ的な演出はあったのだろうけど、猿岩石の旅路は本当に面白かったです。
小切手を持って旅をしていました
ネットでホテルやレンタカーを予約できない時代なので、自然と必要な現金の量が増えてしまいます。しかし、現金を持ち歩いていると盗難や紛失の危険性があります。そのため、「トラベラーズチェック」という小切手を銀行や郵便局で購入して持ち歩いていました。トラベラーズチェックが使えるのは大手のホテルなど限られている場所だけだったので「いつトラベラーズチェックを使うか」にドキドキしていました。
ローマ字だらけのメールを書いていました
旅先へ自分のPCを持っていけるのはまだまだ先。世界の片隅にあるネットカフェやPCを時間単位でレンタルして使わせてもらい、日本語入力ができない英語キーボードからローマ字だらけのメールを書いていました。「ore ha genki desu」みたいな感じです。また、「今日はネットを使いに行く」という予定の日が存在していました。
旅から帰ってきて、旅の話をするのが楽しみで仕方ありませんでした
旅先から近況を報告することができないので、日本へ戻ったら「お帰りなさい会」が開かれて、旅の模様を報告しました。私もアメリカでクマに襲われた後、「早く日本で自慢したい!」とワクワクしていました。
未知の体験から、交流へと時代が変わったように感じます
私には、まるで昨日のことのように思い返されます。
そして、いまの時代はネットやスマホが普及したおかげで「未知の体験」をするための旅から「未知の交流」をするための旅へとシフトしたように感じます。
90年代は情報が不足していた分だけ、情報を交流させることが難しい時代でした。旅先でお世話になった人とメールアドレスやFacebookの名前を交換することもできなかったし、Airbnbもありませんでした。
世界はもっと狭く・身近になり、たくさんの人と交流ができる時代へ。確実によりよい未来へと進んでいるように感じます。
これからも、安全でよい旅を!