【後日談】何者かになりたかった若者たち – 21世紀の泥沼作戦

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先日書いたエントリ「何者かになりたかった若者たち – 21世紀の泥沼作戦」が思わぬ人気でしたので、後日談です。

こういった「夢破れた若者の話」の金字塔といえば、渋谷直角さんの「カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生」ですが・・・

いまの時代は、これよりもひどくなっているなと思います(「カフェで〜」も古い本じゃないけど)。

「カフェで〜」の時代なら、夢が破れても自分ひとりが「うわー、やっちまった」で終わっていて、せいぜいまわりや母親から蔑んで見られるくらいでした。

が、んが。

いまの時代は、「うっかり夢が大きく見えてしまう仕組み」と「夢を追いかけようとしている若者を食い物にするオトナ」がたくさんあります。

たとえば、ライター志望の雷田なり太。キュレーションメディアのライターという、他人の書いた物をまとめるだけの作業で、かつ「すでに有名」なメディアで書いていただけなのに、それを自分の実力と勘違いしてしまった。会社で表彰されるという、その会社から一歩出たらクソの役にも立たないことを誇りに感じていた。

ここに登場する「有名ブロガー」には悪意はないのかもしれない。彼もまた生きるために必死なのだ。最後に出てくる洗剤の話は、まさに目的のすり替えなのだ。

本当はライティングがしたかったのに、気がついたらキュレーションメディアになっていた。実力をつけるべき時間に、煽ることばかりやっていた。会社からもそれを奨励された。活路を見いだそうとしてお金を払い続け、小さな世界の中で信頼している人、憧れの人から洗剤を紹介してもらい・・・そこに生きがいを感じ始めようとしている(そこまでは書かなかったけど)。

次のヒイラ・なり子。一般の皆様はご存知ないと思いますが、ヒーラー業界というのはかなりエグいです。次々に新しいヒーリング手法が作られて、それを「マスター」から学ぶには数万円、数十万円。しかし、そのお金を払って自分も「マスター」になれば、自分が誰かに数万円、数十万円で伝授することができる。それならばと、次々に新しい手法を学ぶ人たちというのが、確実に存在しています。

永続的な支払いが伴わないので、ネズミ講とは違うかもだけど、あまりにカネカネな世界です。

しかし、ヒーラーというのは常に新しいヒーリング手法を取り入れていないと古くさく見られてしまうところがあるので、誰も金を惜しまない。誰かを癒やすのって、そんな遠回りが必要なんだっけ。

そして、恐ろしいほどにポジティブ。何があっても「あの時代は後悔していない」とか「すべてはシンクロニシティ」とか、思考を放棄してしまう。

世間とズレたままで世間にサロンを作ろうとするから、WEBサイトの構築やフリーペーパーへの掲載という営業がやってきて法外な値段をふっかけられても怪しまず、「フリーペーパーで取り上げられました♡」という、分かる人からしたら「そこに載せるんだ・・・必死だね・・・」というドツボにはまっていく。

パーリー・やり太は、お手軽な仕組みに翻弄された男です。イベントの内容はコピペすりゃいいじゃん、Facebookページの「いいね!」なんて金でいくらでも買えるじゃん、DJもダンサーも誰だってできるじゃん、というお手軽な仕組みで突き進んだ結果、回避不能な巨大勢力とブツかったときに何の対処もできなかった、と・・・。

余談ですが、Facebookページが1万くらい「いいね!」ってなっているのに、投稿の「いいね!」が数個しか付いていないところは、金で買ってるヤツです。いっぱいいます。

セレブ・キララもカワイソウなパターンです。世間知らずと言えばそれまでなんだけど、女の子の一部にはどういうわけか「趣味が同じ人は怪しくない」という思い込みがあるようです。んなわけないだろ!と思うのですが、「旅が好きな人に悪い人はいない」とか平気で喋っている。

そして、夢に飢えている人は一緒に夢を見られる存在というのはどこまでも眩しいもの。行き先の分からない「世界」を変えるという名目で、どんどん深みへとはまっていく。

そして、男は自分の身の丈に合った女を求めようとするため、仕事ができるようになれば、さらにいい女を求めてしまう(ゲスの極みとかミスチルとギリギリガールズのパターン)。男から捨てられたときに、自分に残されるものは何だろう・・・。

で、だ。

自分が好きなことをやってればいいと思うよ。ホントに。

もういっこだけ追加

このエントリを読んだ方から、「それって有名になりたいってことと一緒でしょ?有名になるには覚悟と責任が伴うものだよ」というコメントを複数いただきました。

申し訳ございませんが、完全に違います。

彼ら(僕ら)は有名になんてなりたくないんです。繰り返しになるけど「何者かに」なりたいんです。

ここらへんは、インターネットよりも前の、「CDを出してメジャーデビューしたい」とか「テレビに出たい」という世代との決定的な意識の差かと感じました。

かつては、自分の音楽や映像、考えやら文章やらを伝えるためには「有名」である必要がありました。いまはそうではありません。誰だって(私だって)情報発信ができます(Be here now)。

何にだってなれる分だけ、何者かになることを渇望しています。

たとえばSNSのプロフィール欄。SNSが存在する前まで、自分のプロフィールを考えることなんてほとんどありませんでした。「会社で仕事してます」だけの自分では物足りない・・・「主婦です」だけでは物足りない・・・そういった思いが、「何者か」への憧れの原動力です。

でも、その憧れの思いを(故意であれ天然であれ)うまく使ってしまう人(オトナと表現しました)というのもいます。

すごく昔なら「アイドルにしてあげるけど抱かせて」くらいの世界だったのが、ライターになりたいならスクールあるよ、オンラインサロンで交流すべきだよ、ヒーラーなら新しいヒーリング手法を学んでフリーペーパーに広告を掲載した方がいいよ、という世の中になってきました。

メリットがあればいいんですけどね、ライティングしようとしていたのに洗剤を売ることに夢中になったり、ヒーラーのハズがデリヘルになってたりという、すり替えに騙されなければいいんですけど。

もうひとり、「エコ・ろじ子」という、エコロジーを求めていたはずが辺境の空間で偏狭な思考になってしまい、子供が成長して大学へ行きたいと言い出したときに「奨学金制度を使えば?」と気軽に提案してしまう女性のことを書こうとしたけど止めました。

さて、オンラインサロンじゃなくてピンクなサロンで交流してきます。ありがとうございました!!!!!!!!