「宮崎駿に人生を壊された女」を読んだ

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オンラインで公開中の「宮崎駿に人生を壊された女」というマンガを読みました。

※後日追記:無料で公開されていたのが、有料になったようです。

【関連】「宮崎駿に人生を壊された女」は無料公開を終了した模様

宮崎駿に人生を壊された女

https://note.mu/sbsnbun/n/n24da2014094d

あらすじ(ネタバレ含む)

幼少期に出会った宮崎駿作品。強烈に惹かれつつも、周囲の賛同は得られなかった。その後、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の報道から、「アニメ・マンガは歪んだ趣味」という強烈なバッシングが起きる(宅八郎のようにオタクをギミックとして使う芸人が出たり、オタク受難の時代がスタート)。自分の中の宮崎駿を消し、オトナになる筆者。路上で偶然に出会った本物の宮崎駿に握手をしてもらったとき、ようやく幼少期の自分を認めることができた・・・

感想

まず印象的だったのは、冒頭のシーン。「風の谷のナウシカ」に感動する筆者に対して、母親が全く興味を示していません。映画を見たい!とネダっても「面倒くさい」と返され、ようやく見に行けても「よく分からなかった」と一蹴します。その後も、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の報道を見た母親が「あなたの本棚と同じ」と発言するなど、子供を理解しようとする姿勢が一切描写されていません。

筆者には兄がいるようですが、少子化に伴い、「子供が会話する相手がオトナ」という場面が増えています。子だくさんの時代なら、子供は子供同士で会話をしていました。しかし、少子家庭では自然と「子供が会話する相手がオトナ」という構図になります。また、よくも悪くも「子供と親が対等に」会話をする風潮が拡がったため、オトナが自分の意見をそのまま子供へ伝えるようになりました(すんごいタメ口の親子、いるよね)。

このことに、すごく違和感を感じます。

子供は子供です。子供の思考回路で、子供の世界、空想の世界に生きています。

そこへ触れるときは、オトナは子供に寄り添うべきではないでしょうか。

子供時代にオトナから否定された筆者は、自身がオトナになっていくに従い、宮崎駿作品に感動しなくなるなど、子供時代の感覚にギャップを感じ始めます。

・・・最後、本物の宮崎駿に握手をしてもらったとき、まさにそのとき、筆者はようやく「オトナに認められた」のだと思います。

私は、子供を罵倒するオトナ、馬鹿にするオトナが大嫌いです。

子供は子供です。子供の思考回路で、子供の世界、空想の世界に生きています。

そこへ触れるときは、オトナは子供に寄り添うべきではないでしょうか。

すべての子供が、筆者のように路上で神様 ー宮崎駿ー に出会えることなど、ないのですから。