ごくたまに「サイケデリック体験をしてみたいのですが、違法なことはやりたくないのです」という相談をもらいます。そんな方法あったら俺が知りたいよ!ということで・・・回答としては・・・
オウムの修行をマネるとよいと思います
オウムの修行をマネるとよいと思います。いやマジで。
私はかなりのオウムマニアです(信者ではありません。興味の対象として)。
日本語の歌モノでもっとも歌えるのはオウムソングかもしれません。たぶんサザンやミスチルの曲より記憶しています。ホーリーネームと本名、役職もだいたい分かります。たぶん安倍内閣の閣僚より記憶しています。
オウムが短期間に多くの信者を集めることに成功した理由のひとつは「超能力」や「神秘体験」の実現にありました。「オウムの言うとおりに修行したら、マジで神秘体験ができたよスゲー!」と、超能力に憧れる層を取り込めたわけです。
ここで言う、「超能力」・「神秘体験」とは、光に包まれたり、幽体離脱をしたり、空中浮遊をしたり、人の心を読んだり、未来が分かったり、僕らの言葉なら「サイケデリック体験」と同じものです。
では、どのようにしてオウムはサイケデリック体験を達成したのでしょうか・・・?
慢性的な栄養不足にしておく
オウムでは「一日一食は聖者の食事・二食は人間の食事・三食は獣の食事」と言われ、極限修行と呼ばれる集中した修行期間中は10日以上絶食することもあったようです。食事は白米と根菜をシンプルに煮込んだものがメイン。どう考えても、カロリーや栄養のバランス、必須アミノ酸は満たされません。
栄養不足になることで、あっさりと思考は変化を起こします。ホームレスの人とか、空中に向かってつぶやいていますよね。ヨーロッパの冬も食べるものがなかったので、妖精がよく現れていたり、マッチ売りの少女も幻覚を見まくっていました。
サイケデリック体験を求めるなら、空腹は基本です。
ヨーガや呼吸法を行う
かつての時代は、「ヨガを習いたかったらオウムに行けばタダだよ」と言われていたこともありました。
オウムのヨーガは、大量の水を飲んで一気に吐き出したり、ほっしゃん的に鼻にヒモを入れてゴシゴシしてみたり、なかなかハードコアでメリットが高そうなものばかりです。
「超能力 秘密の開発法」や「生死を超える」といったオウムの書籍はネット上にPDFで置いてありますので、検索して見つけて実践してみましょう(ネット上のPDFを閲覧するだけなら著作権法違反にはなりません)。
書籍で確認できるのですが、グルの乳首はとてもキレイです。
尋常ではない回数をこなす
年末になるとヨガ好きなの間で「太陽礼拝」というポーズを108回続けることが行われており、「ハードだけどすがすがしかった!」みたいなことを言われていますが・・・
オウムの場合、出家修行者になるための最初の修行が「立位礼拝」という五体投地のポーズを一日17時間・7日間に渡って行うことでした。ハ、ハンパねえ!!!!!!!
本当にいろいろ桁違いで、マントラを唱える数が数万回だったり、寝ることさえ否定したり、あの特徴的な「ヘッドギア」も「24時間修行が続けられる道具」という側面がありました。いまだとシックスパッドみたいなものですかね。寝ながら鍛えられますよ!的な。
マラソンでも亀頭オナニーでも、尋常ではない回数をこなすとヘンな状態になっていきます。諦めることなく、とにかく継続が大切です。
体験を共有できる仲間を作る
実はこれがすっっっっごく重要なところ。自分の心身に変化があったとき、それを共有できる仲間を作っておきましょう。
たとえば、目眩でクラクラしていただけでも「チャクラが開きつつあるね!」と肯定してくれる仲間や、警察からバンカケをされただけでも「それはマハームドラーの修行だよ!」と褒めてくれる仲間がいると、自分のまわりに起こった些細なことすべてがサイケデリック体験として認識されていきます。
そしてそれは、集団催眠(集団ヒステリー)のように伝染します。オウムが「空中浮遊」を掲げていたときには、座禅を組んで座っているだけでダルドリー・シッディ(空中浮遊の前段階として、身体が勝手に飛び跳ねる)が多発していたのに、オウムブームが終わった現代において、お寺の座禅会でダルドリー・シッディが起きたという話は聞いたことがありません。
みんなが「起きる起きる」と期待しているからこそ、起きるのです。みんなで起こせよムーブメント。
精神面の修行も忘れずに
で、だ。
これはナチュラルハイでもドラッグによるサイケデリック体験でも同じなのですが、「体験」ばかりを追い求めて、それを受け止める自分の「精神」が鍛えられないままでは・・・非常に危険です。オウムが自滅したのは霊性と精神性のバランスを欠いたためだと思います。
スピ系が世間から笑われるのは、世間の価値観とズレているからです。笑われるくらいならよいですが、そこでケンカになってしまったり、生活や家庭が崩壊したり、オトナの義務である労働・納税を放棄してしまっては本末転倒です。
サイケデリック体験は自らの内側にあるもの、修行で得られた体験はあくまで修行で得られたもの。いろいろ勘違いすることなく、実際の生活に役立てていきましょう。
先人から学べるものは多い!!!!!!!