世界的に拡がりつつある、大麻の合法化ムーブメント。医療目的で使う医療大麻を始め、ヒーリング用の大麻にも、さまざまな製品が登場しています。
日本国内においては、1948年に「大麻取締法」が制定され、大麻をみだりに所持することができなくなりました。それでも、高度成長期ごろまでは大麻は雑草のようにそこら中(線路の脇とか)に生えていたと聞きます。
私が子供のころ、祖父母の家の五右衛門風呂を沸かす手伝いをしていたときに「焚きつけにはコレが一番いい」と、母親から渡されたのが「おがら(麻の枝)」でした。かなりボンやりした記憶ですし、夢見がちだった子なので信憑性は薄いけど、なんとなく覚えています。
では、日本で初めて大麻取締法で逮捕されたのは、いつ・誰なのでしょう・・・。
手元にこんな本があります。
日本におけるヒッピームーブメントの生き証人(故人)・PONさんの自伝的な本です。この中で「1965年にビートニクたちがマリファナを持ってやって来た」と記されています。
1965
何かが起こりそうな予感はあった。嵐の前の静けさのように、アメリカから、ヨーロッパからやって来たビートニックたちが、新しい情報とマリファナを持ってやって来た。
「アイ・アム・ヒッピー」より引用
そう、日本には太古から大麻は生えていたけど、マリファナとして喫煙し、意識を変容させることは今ほど一般的ではなかったようです。昔話を読んでも、酒で失敗した話ばかりですよね。
2年後の1967年、信州富士見高原のコミューン「雷赤鴉」の畑で、大麻草20本が摘発されます。コミューンってのは今でいうところのシェアハウスのロハス版みたいなもの。
大麻取締法違反第一号 1967
そしてその年の秋、雷赤鴉(かみなりあかがらす)の畑の一角で栽培されていた大麻が、諏訪警察署に摘発され、わが国の大麻摘発の第一号になったのである。
もっともその時は、警察も検察も資料不足だったのか、起訴されることもなかった。
「アイ・アム・ヒッピー」より引用
起訴されることはなかったけど、警察に「ヒッピーとマリファナ」の関係を握られたのはこの事件をキッカケとしてでしょう。
続けて1968年、国分寺のコミューンで5名が逮捕されます。しかし、このときも長期拘留の末に公判資料不足のため起訴猶予となったとのこと。
それから半年後の68年春、”部族”の第三の拠点として、東京国分寺に築いたコミューン「エメラルド色のそよ風族」が家宅捜査され、五人の仲間が検挙された。我が国の”大麻取締法”の最初のいけにえである。
「アイ・アム・ヒッピー」より引用
それから約10年が経ち、1977年には研ナオコ、クワマン、井上陽水、美川憲一ほか多数の芸能人が大麻で逮捕され、世間に一気に「大麻」の存在が伝わっていきます。
この時代↑の本もいろいろ持っているのですが、当時は今ほど大麻の入手が容易ではなかったために「海外のコンサートで回ってきたジョイントを(となりへ回さずに)パクった」とか、「国会議員のおじさまにお茶っ葉を大麻と偽って高値で売りつけた」とか、愉快な話がたくさん書かれています。
さて、いまは2016年です。1967年とは何もかもが違います。急速に高齢社会にシフトし、老人の医療費負担は増えるばかりです。若者は成果主義を求められ、精神を病む人も少なくありません。
いろいろと考え直してもよい時期だと思うのですが、どうでしょう。